おはようございます。
今日の話はとても長いです!
お時間がある方&読んでもいいよーと思ってくださる方がよろしいかと。
この歳になると、グダグダとまではいかないけれど、思い悩むこと増えますよねー。。
という話です。
私は別に自己評価が高い方ではありません。
というよりむしろ、自己評価が低い方だと思う。
ネガティブ思考だけど、落ち込みやすい性格ではないため、悩んだりはあまりしませんが。
(考えても仕方ないと思うタイプ。諦めが早いというか・・・)
例えば、
資格や仕事の勉強をしていて、わからないことが多いと嫌になってしまうんです。
わからないことが嫌という気持ちよりも、
説明を読んでも理解できないことが辛いと思ってしまう。
どうして私は理解できないんだろう?
↓
辛い
↓
勉強をやめる
というループ。
ダイエットとか、節約とかも似たようなループに陥りやすいです。
それで、やることすら諦めてしまう。
そういえば昔、
失敗するのが怖くてチャレンジしないのはプライドが高いから
みたいなことが書いてある本を読んで、
『私、これに当てはまるかも』と思いました。
自分ではプライドは高くないと思っていました。『どうせ受けても落ちるし、私なんか。』って思うのって、結構プライドが高いの?どちらかというと、自分に対して期待してないってことだよね。って。
でもそれって、『結局失敗するでしょ。』→『失敗したくない。失敗するのが怖い、恥ずかしい。』という気持ちの表れなのかもしれないなと考えるようになりました。
自分に対して、一種の期待?なのかなって。
抜粋した文章って、むかーし(10年ぐらい?)読んだ漫画なんです。
(『そんなんじゃねえよ』という漫画で、主人公がお母さんに言われたセリフだったはず)
その言葉をずっと覚えているということは、自分に思い当たる節があったということですよね。
小休止。
偶然見かけたふなっしー電車。
話戻って。
もうひとつ(だけではないけれど)私には悪い思考の癖があって、
もう〇〇なのに、、△△なんて。
と思ってしまうこと。
〇〇の部分には年齢が入ることが多いです。
どういうことかというと、
学生のころ、
もう中学生なのに、この柄は幼いかな・・・とか
↑ 今思うと、そんなことはない。
もう高校生なのに、この髪飾りはダメかな・・・とか
↑ 同上
もう大学生なのに、このデザインの服は着ちゃダメでしょ・・・とか
↑ 同上
社会人になってもそういう思考回路から抜け出せなくて、
『この年齢ではこうあるべき』
的な考えが根本にあるみたいなんです。
自分の好きな物とかを言うのが苦手で、、自分の選んだものに自信を持てない。
自己肯定力も低くて、
どうせ私になんかという気持ちは、子供のころからずっとあります。
原因を探ってみると、、
・母があまり肯定しない人だった。
→子供のころに大けがをした時、もちろん心配はしてくれたけど、『あんたがどんくさくて避けられなかったから』みたいなことをいう人だった。
・背が高くてがっちりしていて、名前も男のような名前なので、周りの子が女子扱いをあまりしてくれなかった。
→背が高いとなぜか年上扱いされるんですよね。強いでしょ的な。marcieちゃんはピンク似合わないよとか、言われたことがある。。今でも面積の大きいピンクのものを持てません。
・からかわれやすい性格だった。
→昔からボンヤリした性格で、友人・両親曰く天然。からかわれるとムキになるとのこと。今は揶揄われたりはしませんよ。
ちなみに、中学校のころにあまりに『marcieは天然だ』と言われすぎて嫌になり、
原因を考え、対処法も考え、、、、みたいなことをしていたら、
社会人になった今、言われなくなりましたよ。
今の時代に『天然ボケ』と言われても、かわいい感じがしますけど、当時は何となく馬鹿にされているような気がしたんですよね。
話がずれました。
で、自己肯定力は低いけど、
あまり思い悩まない性格のため、落ち込んだりすることは少なくて。
入社の時にやったストレス耐性テストでも、
『ストラスが溜まりにくいタイプ』と出ていたし。
でもこの思考回路が、年齢が上がるにつれて辛くなってきたんですよね。
自分で自分を追い詰めてるというか。
最近、わたなべぽんさんの『やめてみた』シリーズ?を読んで、わかる!!と共感してしまったことがありました。
物に対してだけではなくて、思考についても書かれています。
私もゆっくりでいいから、この思考に対する対処法を探していけたらいいなと思います。
長々とすみません。。
では。
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